
発達障害当事者 高松信友/障害者以前にひとりの自分として
2018.06.114月に開催した「キミダケノオトでフリーセション!そらコンサート」に出演いただいた高松信友さんにインタビュー!発達障害当事者として、子どもたちに伝えたいことを聞きました。
周りとのギャップ、発達障害
自分自身が発達障害だと知るまでは、他の人が感じていることが感じられなかったり、自分が感じていることは他の人は感じていなかったり、周りとのギャップには気づいていたけど、小さい頃は特に気にしていませんでした。
両親の仕事の関係で引っ越しを何度も経験したのですが、方言の違いで衝突する場面があったり、様々なことで喧嘩をしていました。歯止めが効かず、過激な喧嘩をすることもありました。
小学3年生の頃、クラスメイトとの衝突の中で相手をどうしても許すことができず、大怪我を負わせてしまう喧嘩をしてしまいました。それをきっかけに病院で検査を受け、ADHDとアスペルガー障害の診断を受け、薬の服用を始めました。
薬をのむこと、止めること両方辛かった
薬を飲み始めて少し経った頃、副作用が出始めました。その様子から服用の中止の判断がされたら良かったのですが、その後は向精神薬を服用するようになり、副作用の症状を訴えるたび薬の量は増していく、苦しい日々を過ごしていました。
ある日、別の医師に「君には薬は似合わない」といわれ、突然服用を止めることになりました。
その時はその一言だけでしたが、今となれば、薬の服用による落ち着きよりも過剰投与による副作用が明らかだったことと、障害を乗り越え上手く付き合っていく力があるという判断があったのだと思います。それから一切の薬の服用を止めましたが、しばらくは強い離脱症状が現れて苦しむことになりました。
薬の服用を止めて「無脳薬音楽人」に
現在は薬の服用無しの「無脳薬音楽人」として、非常に楽しく過ごすことができています。
もちろんADHDの特性はあります。
しかし、当事者としてできることもあります。
自分の経験や気持ちを音楽で表現すること、そして自分たちのことを知ってもらう活動ができていること、ありのままの自分を許して認めてくれる環境で過ごせていることがとても嬉しく、今が楽しいです。
障害者以前に人として
薬の服用・止めた当時を振り返り思うことは、十分な説明がほしかったということです。
障害があることを受け止められない人も、理解できない人もいると思いますが、僕の場合はなぜ診断をくだされたのか?なぜ薬を飲まないといけないのか?なぜ薬が似合わないのか?・・・誰からも詳しい説明がなく、自分のことなのにどうしてこうなっているのか状況が分からず、ただ苦しみに耐えることがとても辛かったです。
同じ境遇の子どもたちにメッセージがあるとしたら「障害者以前に1人の自分として生きてほしい」です。
まだまだこの障害に対して理解のある人ばかりではなく、生きづらい世界かもしれません。
そこで子どもたちが感じている生きづらさは決して間違いなんかではなく、その子の正しい感覚であるはず。その純粋な気持ちを大切にしてほしいと僕は思います。
高松信友プロフィール
